■4月18日(月)
「渡さんの夢を見た」
・・・五郎さんが渡さんの原稿を書くため、資料を集め回っていて、僕の所にもやって来た、「研ちゃん、渡の資料何か持ってない・・・?」って。僕は昔のコンサートのチラシやチケット、写真、雑誌の切り抜き等のスクラップブック(実際に持っている)を手渡した。そのことを亡くなっているはずの渡さんに告げると「五郎はそんなことしてくれているの・・・」と、鼻水を流しながら嬉しそうに笑って、恵美ちゃんにその鼻水拭いてもらっているのだ・・・。ニコニコしながらね。渡さん。
「パウロ高田渡告別ミサ」
夢で逢えたよ・・・。嬉しくて悲しい目覚め、午前7時だった。渡さんの鼻水拭いてあげた恵美ちゃんは、今朝一番の飛行機で一足先に帰阪。今日は11時から吉祥寺カトリック教会にて渡さんの告別ミサだ。頑張って起きて、昨夜の夢(上記)をメモ帳に書き留めた。今朝は東京へ来てから一番肌寒く感じる。渡さんの葬儀、行こうかどうか迷い始めた。僕如きが参列して果たしてよいものか、でも、行かなきゃきっと悔やむだろう、せっかく東京に来てるのだし、これも「縁」だ・・・、などと迷ってるうちに修さんからのTELで愁流さんの部屋を出た。 11時半、修さんと少し遅れて吉祥寺カトリック教会。身内だけでそっとやるって聞いていたのに、とても盛大で、400人は居ただろうか、神父さんのユーモア交えたお話に、重かった会場の雰囲気は一変、続く、筑紫哲也さんのお別れの言葉にも場が和んだ。漣君の最後の挨拶「何年か経って、高田渡が偉人扱いされるかも知れないけど、僕達家族にとっては“とんでもない親父”でした・・・」には会場大爆笑。出棺は渡さんの「私の青空」が流れ、自然発生的に手拍子が起こり、最後はすすり泣く声と拍手が鳴り止まない・・・、 “ 高田渡 アンコールなしのラストライブ ” 「ありがとう渡さん、そして、さよなら渡さん」
■昨年、吉祥寺「のろ」でのCD発売ライブに、松江からの帰り、わざわざ来て頂いた渡さん、チラシの裏にその場で走り書きしたメッセージ(写真下)を本番中の僕にくれた。実は、このCD発売ライブのキャッチコピーが「私一から出直します」というもので、それをもじっての渡さんの言葉(かなりの酩酊状態の中「一から始じます」は「一から出直します」の間違いか?)。僕の大切な宝物のひとつ、僕にはこれが最後の高田渡体験だった。(正確には翌日の御礼の電話での会話) http://kamakura.musik.jp/cgi-bin/news.cgi?id=20041124165344
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